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調査研究報告書 No.2
弱視者の読みと事務的職業

執筆者(執筆順)

執筆者
五十嵐信敬 (筑波大学心身障害学系 助教授)
香川邦生 (筑波大学心身障害学系 助教授)
柿澤敏文 (筑波大学心身障害学系 助手)
小林秀之 (筑波大学大学院心身障害学研究科)
御領 謙 (千葉大学文学部 教授)
佐島 毅 (筑波大学心身障害学系 助手)
佐藤泰正 (筑波大学心身障害学系 教授)
瀬尾政雄 (筑波大学心身障害学系 教授)
高橋尚子 (筑波大学心身障害学系 技官)
谷村 裕 (筑波大学心身障害学系 教授)
千田耕基 (国立特殊教育総合研究所 視覚障害教育研究部弱視教育研究室長)
徳田克己 (筑波大学心身障害学系 講師)
中野泰志 (国立特殊教育総合研究所 視覚障害研究部研究員)
竹村三郎 (障害者職業総合センター 研究主幹)
伊達木せい (障害者職業総合センター 特性研究担当 統括研究員)
松為信雄 (障害者職業総合センター 心理特性・職業発達研究担当 主任研究員)
高見令英 (障害者職業総合センター 心理特性研究担当 研究員)
桐原宏行 (障害者職業総合センター 心理特性研究担当 研究員)

序章 問題の所在と報告書の内容

第1節 問題の所在

1.視覚障害者の実態

これまでの視覚障害者に対する職業リハビリテーションの研究や実践活動は、おもに全盲の人たちを対象にして、その職域の拡大に焦点を当てていた傾向がある。そのために、弱視の人たちの職業的な自立に関わる研究ははとんどみられない。その一方で、特殊教育の分野では、弱視の特性とその能力の向上に関わる数多くの研究が蓄積されている。にもかかわらず、その多くは教育的な実践活動の向上に向けられており、必ずしも、職業的自立を視野に入れているとは言えないところがあった。

弱視の人たちに対する職業上の課題は、これらの研究や実践の間隙に落ち込んでしまっているかのようである。だが、我が国の視覚障害者の実態からすると、この点に無関心なままでいる訳にはいかないだろう。事実、1987年に厚生省が実施した調査では、視覚障害者は18歳末満で5千8百人、18歳以上で30万7千人とされるが、これらの障害等級の内訳をみると、18歳未満の60.3%、18歳以上の43.6%が3級以下の障害を有している(なお、18歳末滞の1級は32.8%、2級は6.9%、18歳以上の1級は34.9%、2級は21.5%である)。障害等級が1級や2級の中にも重度の弱視者を含んでいると見なすと、実際には、全盲の人たちよりも、弱視者のほうが多いのである。

また、1988年に労働省が実施した身体障害者等雇用実態調査によれば、30人以上の規模の民間事業所に雇用されている視覚障害者の産業別の雇用状況は、サービス業(58.2%)が最も多いが、その大部分はいわゆる三療(あんま・はり・きゅう)に就業している。ついで、製造業(18.5%)、卸・小売・飲食業(7.1%)、運輸・通信業(7.0%)、金融・保険業(5.7%)、建設業(2.7%)、電気・ガス・水道・熱供給業(0.6%)、不動産業(0.2%)、鉱業(0.1%)の順位となっている。全盲者の場合には、就業分野が三療に偏っていることから、その職域の拡大が重要な課題となっていることはよく知られている。だが、弱視者の障害程度やその特性に応じた就業内容については、必ずしもその実態が明らかにされてはいない。

こうした、弱視者に対する職業的な自立への関心の薄さは、程度の差異はあるにしても、基本的には「モノが見える」ことで全盲者よりも深刻に考える必要性を薄めていた、ということは十分に予想されよう。

だが、弱視者の職業上の問題はそう簡単ではない。なぜなら、「モノが見える」とはいうものの、その障害の生理・病理学的あるいは心理学的な背景に著しい個人差が存在するからである。「モノが見える」分だけ、全盲の人たちよりも就業可能な職業分野が広がっていることは確かだが、実際に就業するとなるとさまざまな問題が発生する。

2.問題の所在

そのひとつが、リーディング(reading,以下ではこれを「読み」と訳して用いるうに関する問題である。

読みの能力は、事務的な職業領域においては不可欠な職務遂行の能力であり、また、事務的な職業は、広範な職業分野にあって最も従事する人が多い。そこで要請される能力は、単に文字を読むための読字の能力ばかりでなく、読字を通して文章の意味内容が理解できなければならない。そのためには、視覚機能そのものばかりでなく、認知的な能力もまた要請されることになる。だが、弱視の障害があると、直接的には視覚機能の障害による読み能力の低下が生じるばかりでなく、それが教育場面で持続すると、認知的な能力障害へと派生する可能性が生じて来よう。しかも、その双方の個人差が重複して、読みの能力に対する著しい個人差をもたらす。従って、「モノが見える」とはいうものの、事務的職業の分野にどのような弱視者でも就業できるとは限らない。

弱視者の読みの特性とその能力の向上に関わるこれまでの研究は、おもに特殊教育の分野で蓄積され、教育場面に活用することに焦点を当てている傾向がある。だが、これらの成果や知見は、単に、特殊教育の分野に限定すべきではない。むしろ、受けた教育年限の数倍にも及ぶ時間を費やすことになる、職業生活場面からの要請を踏まえた検討が必要であろう。そのことが、「学校から仕事への円滑な移行」を促す特殊教育の教育課程を編成する際に、重要な視点となる。

3.目的

そこで、本研究は、弱視者の読みに関する最近の知見を集積する。とともに、その障害の特性から種々の困難が想定される事務的職業の分野に進出するための、物理的な環境整備や教育訓練プログラムを開発するための視点についても明らかにする。  そのためには、単に、弱視者の読みの特性を多面的に把握することに留まるのではなくて、読みの能力の背景となる認知心理学的な基礎的課程についても明らかにする。さらに、それらの知見を踏まえた上で、読みの能力を向上するための物理的環境を整備することについても明らかにする。

第2節 報告書の構成と概要

こうした問題意識をもって作成した本報告書は、次のような内容から構成されている。

1.報告書の構成

全体として、序章を含めた合計7章で構成している。序章では、本書の目的を示すとともに、その内容を概観する。これを除いた主要な部分は、大きくは、4つの領域で構成している。

第1は、読書や読字についての基礎的な過程を、認知心理学の視点からまとめた第1章である。ここでは、障害を持たない人たちを対象とした研究成果を網羅して、読みの特性を知るための普遍的な知見を集約している。

第2は、弱視者に焦点を当てて、その読みの特性に関わる知見を集積したものである。弱視の生理・病理的な背景とそれが読みに及ぼす影響を第2章で、また、心理学的な特性が読みに及ぼす影響を第3章で、それぞれ網羅している。

第3は、弱視が読みに及ぼす影響を最小限に留め、しかも、読み能力を向上させるための、実際的で具体的な方策を明らかにする。そのために、第4章で弱視児童が用いる文字教材として備えるべき条件を、また、第5章で読みの能力を補償する補助機器が備えるべき条件を、それぞれ明らかにする。

第4は、弱視者が事務的職業の分野に進出するための展望を行った第6章である。読みの能力が直接的に作業効率やその精度を規制する条件となりやすい事務的職業では、どのような特性と諸能力が要請されるかを明らかにする。また、この職業分野に進出するための教育訓練プログラムについて検討する。

2.内容

各章の主要な内容は、次のとおりである。

(1)第1章

読書や読字についての基礎的な過程を、認知心理学の視点からまとめる。

第1節では、人間の認知行動についての一般的な枠組みと読書との関係を明らかにする。

最初に、読書における視覚運動協応過程や心理言語学的な諸問題についてまとめたうえで、読書における基礎的な過程としての読語についての最近の研究成果を概観する。

第2節では、読語過程についての認知心理学における研究法を、語に内包する諸属性や、被扱者に課せられる認知課題の側面からまとめる。

第3節では、読語過程にみられる諸現象として、語の優位性効果、文脈効果、PRIMING効果、使用頻度効果、規制性効果、CONSISTENCY効果、隣接語効果、同音異義語効果などの諸側面について概観する。

第4節では、読語過程に関する代表的理論として、IJOGOGEN MODEL、ACTIVATION-VERIFICATION MODEL、語の認知に関するIAモデル、神経回路網に基づく単語認知モデルなどについて解説する。

第5節では、これらの認知モデルを踏まえた読語課程が、弱視者の読み特性とそれを向上させる指導方法に貢献し得るか、という問題を提起する。

(2)第2章

生理・病理学的な側面からみた読みの特性についてまとめる。

第1節では、生理・病理学的な特性が読みに及ぼす影響を明らかにする。移動文字と静止文字のそれぞれについて、弱視者と晴眼者の読み特性の比較、文字の色やコントラストの影 響内容の理解度などの諸側面での知見をまとめる。また、屈折異常や透光体の混濁の状態を人口的に設定したシミュレーション実験の成果を概観する。そのうえで、主要な眼疾患として、角膜や水晶体の異常、硝子体の混濁、網膜中心富の発達異常、中心視野内の暗点の発生、周辺視野の光感度の喪失、視覚経路の異常などを取り上げ、それらが読みに及ぼす影響を明らかにする。

第2節では、眼疾患と読みの関係について、全国の盲学校児童生徒を対象とした実態調査をもとに明らかにする。特に、眼疾患別にみた、読みやすい文字の特性を整理する。

第3節では、これらの知見をもとに、今後の課題を指摘する。

(3)第3章

心理学的な側面から見た弱視者の読み特性についてまとめる。

第1節では、そうした視点の先行研究を概要する。最初に、晴眼者と比較した場合の弱視者の読みの特性を、文字の認知、漢字の読み、読みの効率、眼球運動などの側面から明らかにする。その後で、読み効率や読みやすさに効果を及ぼす要因を、文字の拡大率、視角や文字の大きさ、読書距離、読解力、その他の要因などから検討する。

第2節では、弱視者の読み能力を向上させるための指導上の要件を明らかにする。最初に、読みの行動は眼球運動と眼球移動(頭部運動)の2種頬の運動系が関与し、弱視者は、後者の運動が特徴的に出現することを指摘する0また、弱視者が可読できる文字と読みやすい文字の大きさの実測や理論値を求めたうえで、成人の読み速度に及ぼすそれらの諸条件を明らかにする。それらを踏まえて、効率的な読みの条件や、読み速度を向上させるための指導方法とその効果などを検討する。

第3節では、今後の課題として、効率的な読みの条件、あるいは、読解力向上のための条件などについて解明する必要のあることを指摘する。

(4)第4章

弱視児童に捉供する文字教材として、どのような条件を満たすことが適切かを検討する。そのために、縦書きの教材と横書きの教材の2種類について、その文字の大きさ、種類、行や文字の間隔などの諸条件についての調査結果を報告する。それを踏まえて、文字教材を作 成する際の要件について提言する。

第1節では、文字配列に関する調査の目的と方法について述べる。

第2節では、縦書きの文字教材として読みやすい構成をするための要件について、特に、書体、文字の大きさと表現パターンなどを中心に検討した結果を要約する。

第3節では、横書きの文字教材を構成する要件について、調査結果を詳細に分析する。最初に対象児童の実態を明らかにしたうえで、特に、書体、文字の大きさと表現パターンなどの条件を明らかにする。さらに、視力や最小可読視標と読みやすさの条件、文字の大きさや視力と視距離との関係についても明らかにする。

第4節では、それらを踏まえて、拡大文字教材の作成に向けての提言をする。

(5)第5章

弱視者の読みの向上に用いられる補助機器について、その現状を明らかにするとともに、弱視の特性に適合した補助機器を開発したり処方するための課題について明らかにする。

第1節では、補助機器の動向と種類を明らかにする。最初に、弱視者にとって補助機器の意義や役割あるいはその必要性についてまとめる。次に、それらの活用について、読書環境の整備やそれと対応した補助機器の種類について明らかにする。

第2節では、実際の使用状況を、弱視学級に対する全国調査を踏まえて明らかにする。弱視レンズ、弱視用拡大テレビ、拡大コピー機、その他の棟器、拡大教科書などの使用実態をもとに、弱視の眼疾患や心理的な特性との関係を明らかにする。

第3節では、今後の課題を検討する。その中には、障害の補償方法や処方の評価基準を中心とした補助機器の処方に関わる課題と、補助機器の開発に関わる課題について触れる。

(6)第6章

事務的職業の分野に、弱視者が進出するための条件を検討する。

第1節では、事務的職業の特性について明らかにするとともに、この職業分野における弱視者の就労状況についても触れる。最初に、雇用動向の変化が事務的職業に及ぼす影響と、弱視者の就労状況を明らかにする。そのうえで、職務内容や要請される諸能力からこの職業分野の範囲と内容を類型化するとともに、共通して必要とされる基礎的能力を明らかにする。

第2節と第3節では、職務分析の結果を基にして、事務的職業の特性を詳細に検討するとともに、弱視者が就業している事例について、そこで要請される読みの能力を特定化する。

第4節では、こうした事例を踏まえた上で、学校教育などの事前の訓練場面で、読みの能力を向上させるための具体的な訓練手法のプログラムを提言する。

目次

  • 序章
  • 第1章 読書・読字の基礎過程
  • 第2章 読みの生理・病理学的特性
  • 第3章 読みの心理学的特性
  • 第4章 拡大教材の文字サイズ・配列と読みの指導
  • 第5章 読みの補助機器
  • 第6章 弱視者の読みの特性と事務的職業への進出

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