はじめに  障害者職業総合センター職業センターにおいては、休職中の高次脳機能障害者を対象とした 職場復帰支援プログラム、就職を目指す高次脳機能障害者を対象とした就職支援プログラムの実施を通じ 、障害特性に起因する職業的課題への補完行動の獲得による作業遂行力や自己管理能力の向上、 及び職業的課題に関する自己理解の促進に資する支援技法の開発を進めています。  高次脳機能障害者の就労支援において、補完手段の習得は、日常生活や職業生活における 自立性を高めることに直結する重要な目標の1つです。しかし、メモリーノートなどの外的補助具を用いた補完手段は、 支援対象者が自ら補完手段に気づくことができなければ活用できない、といったところに難しさがありました。  こうした状況を踏まえ、職業センターでは、平成30年度から令和元年度において「アシスティブテクノロジーを 活用した高次脳機能障害者の就労支援」の開発に取り組みました。  本報告書では、携帯電話やスマートフォン、パソコンの基本的な機能を補完手段として活用することについて検討し、 就労支援が円滑に進むよう、「アシスティブテクノロジー活用ガイドブック」を作成しました。  本報告書が、高次脳機能障害者の就労支援の現場で活用され、職業リハビリテーションサービスの質的向上の一助となれば幸いです。  なお、本支援技法の開発にあたっては、滋慶医療科学大学院大学の岡 耕平先生から、 専門的知見に基づきご助言を賜りました。深く感謝申し上げます。  令和2年3月                    独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構                      障害者職業総合センター 職業センター 職業センター長  望月 春樹 目次 第1章 アシスティブテクノロジーを活用した支援技法の開発 1 1 開発の背景と目的 1 2 用語の定義 2 (1) 高次脳機能障害 2 (2) アシスティブテクノロジー 3 (3) ICT 3 3 開発の方法 3 第2章 高次脳機能障害とAT 5 1 文献調査 5 (1) 調査の方法 5 (2) 調査の結果 5 2 ヒアリング調査 10 (1) 障害者のデジタルデバイスの活用について 10 (2) 高次脳機能障害者への支援について 11 (3) 就労支援とATの活用について 11 (4) 就労支援におけるAT活用の普及 11 3 その他の情報収集 12 4 プログラム受講者のAT活用状況 12 (1) 知っている機能 13 (2) 使っている機能 15 (3) 意見交換 18 第3章 AT活用事例の紹介 22 事例1 ~タッチキーボードを活用した結果、漢字入力ができるようになった事例~ 22 事例2 ~スマートフォンでスケジュール管理した事例~ 24 事例3 ~スマートフォンの音声入力をメモに活用した事例~ 26 事例4 ~地誌障害対策にMapやカメラ機能を用いた事例~ 28 事例5 ~小脳梗塞による運動失調のためショートカットキーを用いてPCを操作し、処理速度を向上させた事例~ 29 事例6 ~片麻痺のためキーボードのキーを同時に押すことが難しい場合の操作~ 30 事例7 ~コントラストを調整し、易疲労性の軽減を試みたケース~ 31 事例8 ~面接練習でタブレットを使用し、ビデオフィードバックを実施した事例~ 32 事例9 ~音声読み上げ機能を使って文章の見直しをした事例~ 33 事例10 ~易疲労性対策としてスマートフォンのアラーム機能を活用した事例~ 34 第4章 AT活用支援実施に係る工夫、留意事項 35 1 アセスメントの段階 35 (1) 対象者の自己認識 35 (2) 神経心理学的検査の実施 36 (3) 情報収集・行動観察 36 (4) ケースフォーミュレーションシート(CFシート) 37 2 習得段階 38 (1) ATの活用を提案する段階 38 (2) ATを身につける段階 39 3 身につけた補完手段を職場等へ移行する段階 39 (1) 関係者との情報共有 39 (2) 就職・職場復帰後の支援 40 4 その他 40 (1) グループワークの実施と目的 40 (2) ATの活用を支援できる人材の育成 42 (3) ATがあれば解決できるわけではない 42 (4) ユーザーインターフェースの変更に注意 42 第5章 まとめ 43 別冊 アシスティブテクノロジー活用ガイドブック 第1章 アシスティブテクノロジーを活用した支援技法の開発 1 開発の背景と目的  障害者職業総合センター職業センター(以下「職業センター」という。)においては、休職中の高次脳機能障害者を対象とした 「職場復帰支援プログラム」と就職を目指す高次脳機能障害者を対象とした「就職支援プログラム」を実施しています。  職業センターでは、両プログラム(以下「プログラム」という。)の実施を通じて、高次脳機能障害者の障害の自己認識の促進、 補完手段の習得及び事業主支援を目的とした技法の開発等を行い、地域障害者職業センター(以下「地域センター」という。)等で 実施する高次脳機能障害者に対する就労支援に資するため、開発成果の伝達・普及を行っています。  高次脳機能障害者の就労支援において、補完手段の習得は、日常生活や職業生活における自立性を高めることに直結する重要な目標の1つです。 しかし、メモリーノート等の外的補助具を用いた補完手段は、支援対象者が自ら補完手段に気づくことができなければ活用できない、 といったところに難しさがありました。1)また、地域センターを対象に行った「支援技法の開発ニーズ等に関するヒアリング調査」 (以下「地域センターヒアリング」という。)においても、高次脳機能障害者の支援で苦慮する点として、 「記憶障害の人に今まで使用したことのない新しいツールは提案しにくい。」、「インプット(記入)はできる人が多いが、 アウトプット(参照、検索、行動)をどうやって気づかせるかが問題。」、「メモリーノートでは単純な情報しか記入できず使用しにくい。」 といった、外的補助具を用いた補完手段の活用の難しさを指摘する意見が寄せられており、新たな支援技法の開発が求められていました。  他方、情報通信技術の普及・発展は目ざましいものがあり、総務省が実施する「通信利用動向調査」によると、 平成30年にモバイル端末(携帯電話・PHS及びスマートフォン)を保有している世帯の割合は95.7%に達し、ほとんどの世帯にモバイル端末が 普及したと言えます。また、発展という点では、2010年以降、高性能なモバイル端末であるスマートフォンが急速に普及しました。スマートフォンを 保有している世帯の割合は、2010年には1割に満たなかったものが、5年後の2015年には7割を超え、最新の調査(平成30年)では8割に達しようとしています。2)  こうして多くの人がモバイル端末を日常的に使用するようになり、職業センターにおいても、モバイル端末を支援中に活用する場面が 徐々に増えてきました。実践報告書の記載をもとにモバイル端末の活用例を振り返ると(表1)、当初は携帯電話をタイマーの代替として 活用することから始まり、モバイル端末の高性能化につれて使用目的が広がってきました。  地域センターヒアリングにおいても、モバイル端末を効果的に活用している事例が散発的に報告されるようになり、 新たな技法開発のテーマとして、モバイル端末を活用した支援技法の開発を期待する声が聞かれるようになってきました。 その一方で、「スマートフォンやタブレットを使っている利用者はいるが、使いこなせている感じではない。」、 「スケジュール機能等はプライバシーがあるため、どこまで踏み込んで助言するか難しい。」、「職場によってはモバイル端末の持ち込みが制限されることもある。」等 、困難な点を指摘する意見や、有効性は感じながらも「自分に知識がなく支援できない。」、「実際の事例を知らないため対象者にあまり説明できない。」 といった意見も同時に寄せられました。  以上の状況から、高次脳機能障害者の就労支援においては補完手段習得に新たな技法開発が求められており、普及・発展の著しいモバイル端末(携帯電話や スマートフォン)の活用が有効であると考えられるものの、散発的な取組に留まっていることから、具体的な事例や支援方法を整理する必要があると考えられたため、 平成30年度から令和元年度にかけて「アシスティブテクノロジーを活用した高次脳機能障害者の就労支援」の技法開発に取り組むこととしました。 表 1「これまでの支援におけるモバイル端末の活用例」 年 実践報告書№ 使用した機器 使用目的 2012(平成24) №253) 携帯電話 タイマー 2015(平成27) №284) 携帯電話 スケジュール管理、ボイスメモ、カメラ機能 2017(平成29) №301) 携帯電話 漢字を調べる、アラーム・タイマー、スケジュールアプリ、注意喚起のシールを貼る、写真を取る、メモ、日付・時刻の確認 スマートフォン スケジュール管理、アラーム機能、ナビゲーション機能 2018(平成30) №325) 携帯電話 注意喚起のシールを貼る、日付・時刻の確認 2019(平成31) №336) スマートフォン 前日の出来事の確認、呼吸法(アプリケーション) 2 用語の定義 (1) 高次脳機能障害  「高次脳機能障害」は、病気や怪我で脳に損傷を受けたことにより生じる認知機能の障害に関する言葉ですが、 用いられる文脈により主として「注意障害」、「記憶障害」、「遂行機能障害」、「社会的行動障害」を指す場合(注)と、 「失語症」、「失行症」、「失認症」等を含め広く捉える場合があります。  職業センターで実施する両プログラムでは、「高次脳機能障害」を後者の意味として捉えており、 本報告書においても同様の意味で使用します。 注:「高次脳機能障害支援モデル事業」における診断基準に準拠する場合。 高次脳機能障害支援モデル事業とは、国が平成13年度から平成17年度にかけて、高次脳機能障害者の支援に積極的に 取り組んでいる医療機関を拠点病院に指定し、高次脳機能障害者に対する包括的な支援を目指した事業。 (2) アシスティブテクノロジー  わが国の教育分野で初めてこの用語を紹介した、文部科学省の「情報教育の実践と学校の情報化~新『情報教育に関する手引』~」(2002年)では、 アシスティブテクノロジー(以下「AT」という。)を「障害による物理的な操作上の不利や、障壁(バリア)を、 機器を工夫することによって支援しようとする考え方」としています。7)  大森(2015)8)によると、ATを直訳すると「支援技術」となりますが、我が国では「支援機器」と「支援技術」の 両方の意味合いで使っていることが多いとのことです。アメリカでは「支援機器」と「支援技術サービス」の 両方を指す言葉として使われており、ATは、支援機器そのものではなく、支援機器を提供する支援サービスを含んだ 幅広い概念であると言えます。  本報告書においては、ATを「携帯電話やスマートフォン、パソコン等の機器を、支援対象者の障害状況やニーズ等をふまえて 、補完手段として活用すること」と定義し、支援機器の活用を支援すること全体を広く捉えた用語として用いることとします。 (3) ICT  「ICT」は、Information and Communications Technology(情報通信技術)の略で、携帯電話やスマートフォン、 パソコン等の機器そのものやインターネット等の情報通信技術を指します。 3 開発の方法  ATを活用した支援に関する情報を、他の障害や周辺領域(教育分野等)に関する情報も含めて、 文献調査や専門家ヒアリング、各種研修会への参加を通じて収集しました。また、AT活用についての グループワークを行い、プログラム受講者のAT活用状況を把握しました。その詳細については第2章に記載します。  ATの活用が効果的と思われるプログラム受講者に対し、ATの活用を個別に提案し、試行しました。 試行した事例については、第3章において紹介します。  これらから見えてきた支援上の留意事項については、第4章において解説します。  あわせて、AT活用の有効性や具体的な操作方法を解説したガイドブック(別冊)を作成し、グループワークで使用しました。 【引用文献】 1)独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合センター職業センター:実践報告書№30「記憶障害を有する高次脳機能障害者の補完手段習得のための支援」,2017 2)総務省:「平成30年度通信利用動向調査」,2019 3)独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合センター職業センター:実践報告書№25「高次脳機能障害者に対する職場復帰支援-失語症のある高次脳機能障害者への支援 , 2012 4)独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合センター職業センター:実践報告書№28「高次脳機能障害者のための『職業リハビリテーション導入プログラム』の試行実施状 況について~3年間の取組をとおして~」,2015 5)独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合センター職業センター:実践報告書№32「高次脳機能障害者の復職における職務再設計のための支援」,2018 6)独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構障害者職業総合センター職業センター:実践報告書№33「感情コントロールに課題を抱える高次脳機能障害者への支援~認知と行動に焦点をあ てたグループワークの試行~」,2019 7)文部科学省:「情報教育の実践と学校の情報化~新『情報教育に関する手引』~」,p.147,2002 8)大森直也:知っておきたいAT用語 いまさら聞けないAT用語をピックアップ,金森克弘編、「[実践]特別支援教育とAT(アシスティブテクノロジー)第6集」,p.76-77,2015 第2章 高次脳機能障害とAT 1 文献調査 (1) 調査の方法  「高次脳機能障害」、「テクノロジー」をキーワードに学術データベース(CiNii)を検索しました。 あわせて、「高次脳機能障害研究」(日本高次脳機能障害学会)、「認知リハビリテーション」 (認知リハビリテーション研究会)のバックナンバーを参照して、今回のテーマに関連すると思われるタイトルの論文を収集しました。  続いて、これらの論文の引用文献・参考文献から、関連が深いと思われる論文をさらに収集しました。 (2) 調査の結果  収集した論文を以下の視点で概観します。 ア  活用されている補完手段  「脳卒中治療ガイドライン2015」では、記憶障害に対してノート等の外的補完手段の使用が推奨されています。 1)今回の文献調査においても、記憶障害のある者に対して補完手段の使用を試みた実践報告が多数確認できました。  今回収集した論文を、活用されている補完手段ごとに3期に大別して概観します。   ① 第1期  安田(2007)2)が「忘れた時にそれら(注:メモや日記)を見て思い出せるようにしておくことは、 記憶障害の最初の対処法です。」と述べているように、最初に取り組まれたのはメモや日記といった紙媒体の補完手段で、 メモリーノート(図1に例)に代表される手帳類、写真付きの地図等、様々な形態のものが用いられました。鈴木(1995)3)は、 記憶障害の外的補助手段を①ノート、日記、パソコンなど記憶を貯蔵する補助具、②アラーム付きの時計、 キッチンタイマーなど行動の手がかりを与える補助具の2種類に大別しています。論文を見ると、多くの実践で、 ①の補助具と②の補助具を併用して補完手段の習得を促していった様子が窺えます。  鈴木(1995)3)の実践では、母親の援助なしに日常生活を管理できることを長期的な訓練目標として、 地図を見て特定の場所に移動する参照訓練から始め、手帳(行動や献立の記録等)への記入訓練に移行し、 同時にアラーム(時計付電子メモ)を使用する、といったように段階的な取組で効果を挙げました。  また、布谷他(1993)4)は、「メモリーノート導入訓練」として、アラームが鳴ったらメモリーノートを見て、 書かれている行動(時刻を書き留める等)を取る、という手続きを繰り返し行った事例を紹介しています。 この事例は、その後、メモリーノートの活用訓練を行い、一日の行動予定を自身で管理できるようになりました。  高橋他(1996)5)は、手帳を使用する習慣を形成するためのメモリーノートブック訓練を行い、 日常的なスケジュール管理に利用することが可能となった事例を紹介しています。この事例では、 記入方法の習得にはロールプレイを実施し、参照習慣の形成にはアラームを利用して記入や参照を繰り返させています。   図 1「紙媒体の補完手段の例(M-メモリーノート)」   ② 第2期  ポケットベルや情報携帯端末(PDA)、携帯電話といった、小型で高性能の電子機器が登場し、世の中に普及するにつれて、 これらを補完手段として活用する動きがはじまりました。行動の手がかりを与える補助具としては 従来からアラームが使われていましたが、ポケットベルや携帯電話はアラーム機能に文字情報を加えて 「~をする時間になった」と知らせることができ、メモリアシスト(図2)ではアラームと手順表示機能が連動して より具体的に取るべき行動を知らせることができます。このように、電子機器は行動の手がかりとしてだけでなく、 記憶を貯蔵する補助具としての役割も同時に担うことができる点で、より効果が発揮されるものと考えられます。  ポケットベルの使用事例として、松本他(1999)6)の報告があります。文字を書くことに負担感がありメモの利用が難しい症例に対し、 「スケジュールアラーム機能付きポケットベル」を利用して、スケジュールをその都度知らせることで行動の自立を促した事例を報告したものです。  情報携帯端末(PDA)用のソフトウェア「メモリアシスト」は、2004年に発売されました。 このソフトウェアはスケジュール管理機能、手順表示機能、アラーム機能の3つの機能で記憶障害等のある者を支援するもので、 画面をタッチするだけの簡単な操作、画像や音声を多く利用して使用者の注意を引きつける等、障害に配慮した設計になっています。7)  また、携帯電話の使用事例として、並木他(2002)8)、粂田(2008)9)、加藤他(2009)10)の報告があります。 並木他(2002)8)は、タイマーと手帳を使用しても行動の自立が難しかった2名の患者に、携帯電話のスケジュール機能を用いた訓練を実施し 、習慣的な行動の自立性が向上する結果が得られたことを報告しました。粂田(2008)9)は、スケジュール管理に携帯電話を利用 した事例を紹介しています。加藤他(2009)10)は、インターネット上に入力した予定を自動的にメール送信する機能を 記憶代償手段として活用し、効果的だった事例を紹介しています。  ところで、この時期、高次脳機能障害者に携帯電話はどの程度普及していたのでしょうか。高次脳機能障害者を対象とした携帯電話の利用に 関する実態調査によると、携帯電話(含むPHS)を使用している高次脳機能障害者は回答者の約7割で、一般に比べるとやや低く、 20歳代・30歳代の若年層ではかなり低くなっていました。機能ごとの利用状況は、通話機能やメール機能は多くの人が活用している一方で 、アラーム機能やスケジュール機能を使用していない人が半分以上で、活用は限定的でした。文字や文章の入力の困難さについての設問では、 難しい・入力しないと回答した人もおよそ3分の1存在し、その理由として「文章の組み立てができない」、 「理解力がないためマニュアルを見ても分からない」等、高次脳機能障害に起因すると推定される理由が上がりました。11)  以上のように、この時期は、市販の電子機器を補完手段として活用し、一定の効果を上げるようになりました。 2004年の安田の報告では、「そのような報告例は残念ながらほとんど見かけない。」12)とされていましたが、4年後の粂田の報告では、 「一般向けに市販されている機器・用具が、高次脳機能障害による問題を解決するために利用できることがしばしばある。」 9)と表現の変化が認められ、携帯電話等の市販の電子機器を補完手段として活用することが徐々に広まっていったものと考えられます。 しかし、一般に比べると携帯電話の使用率はやや低くなっており、文字の入力や機器の操作が難しいことが理由の一つにあるものと推察されます。   図 2「情報携帯端末(PDA)用のソフトウェア「メモリアシスト」」 出典:国立障害者リハビリテーションセンターホームページ (http://www.rehab.go.jp/rehanews/japanese/No273/6_story.html (国リハニュース(国立身体障害者リハビリテーションセンター広報誌第273号))) ③ 第3期  2008年にiPhoneの販売が国内で始まり、急速にスマートフォン(図3に例)が普及しました。 スマートフォンを保有している世帯の割合は、2010年には1割に満たなかったものが、5年後の2015年には7割を超え、 最新の調査(平成30年)では8割に達しようとしています。13)スマートフォンは世代や性別等に関わらず、私たちの生活に深く浸透し、 便利に活用されるようになるとともに、対象や機能を特化したアプリケーションも開発・販売されました。  2014年には「ノーマライゼーション」5月号で「障害とスマートフォンの近未来」という特集が組まれました。 特集の中で韓は、スマートフォンを「通信機器としてだけでなく、自分の障害を克服するために活用する事例が増えている。」14)と述べ、 各障害の当事者がそれぞれの立場からスマートフォンの活用状況や今後の期待を紹介しています。高次脳機能障害のある当事者である石川は、 スケジュール管理や金銭管理にアプリケーションを活用して、障害による様々な生活上の問題を改善できた、と述べ、今後は、 確認や入力の負担が軽減(音声で入力・出力する、メールの内容や画像データを解析して入力する等)されると便利になる、と期待を述べています。15)  失語症者のためのコミュニケーション支援機器を各種報告した内山(2017)16)は、コミュニケーション支援に携帯電話の 様々な機能(音声録音機能、カメラ機能、アラーム機能、メール機能)を活用することや、聴覚障害者用として開発されたサービスやアプリケーションを 言葉の聞き取りに困難さのある失語症者に活用することを提案しており、汎用品や他の障害向けのアプリケーションを 困り感に合わせて柔軟に活用することを提案しています。  中山(2018)17)は、高次脳機能障害者のための支援機器として、自身が開発に関わったPDA用のソフトウェア 「メモリアシスト」と携帯電話・スマートフォン用のアプリケーション「メモリアシストライト」を紹介するとともに、 高次脳機能障害者以外を対象とした支援機器や、携帯電話・スマートフォン等の汎用品を利活用することについても述べています。 携帯電話の活用については、カメラや音声等のデータを保存できること、GPSやナビゲーション機能等多機能であること、 スマートフォン向けのアプリケーションを選択して利用できること等の利点をあげる一方、操作方法が複雑で高次脳機能障害者が 操作できないことがある、と課題を指摘しています。  2014年に販売が開始されたタブレット端末用のアプリケーション「あらた」を活用した報告も複数見られます。種村他(2016)18)は、 記憶障害等により日常生活に支障をきたした19例に対し、「あらた」を用いた支援を行い、一定の効果を上げました。ただし、 予定入力や機能が十分に使えない場合や、自覚がない場合(アラームが鳴っても切ってしまう事例等)は使用が困難であるとしています。 また、石原他(2015)19)は、「あらた」を導入して日常生活の自立や能動的な行動の増加、自信の向上がみられた症例を紹介し、 活用が進んだ要因として、リハビリテーションに対する意欲、新しい機器を受け入れる柔軟な態度、継続使用の意志、 手続き記憶が保持されていたこと、スケジュール管理を好む病前からの傾向等を指摘しています。  この時期は、機器の高性能化に伴い、スマートフォンが通信機器としてだけでなく、生活を便利にする道具や障害を克服する 手段として使われるようになりました。こうした汎用品の利活用は、身近にあるテクノロジーを、手軽に、困り感に合わせて 選択して活用できることが利点ですが、入力や操作方法が複雑なことが活用の隘路になっていると考えられます。認知機能の障害に配慮した 専用のアプリケーションも開発されていますが、選択肢が少ないこと、費用がかかること、広く知られていないことから、 汎用品に比べ活用のハードルが高く感じられます。   図 3「タブレット端末、スマートフォン」 イ  補完手段活用のポイント、留意点  鈴木(1995)3)は、記憶訓練の補完手段の使用における問題点を2つ指摘しています。  1点目は「複雑な補助手段は使用法の学習が難しい」ことです。原(2002)14)も、携帯電話を補完手段として活用する際の問題点として、 「その使用手順は概して煩雑であることから、(中略)最初の習得手順が肝要である。」と導入期の支援の重要性を指摘しています。 論文では、以下のような工夫や留意点が指摘されています。(表2) 表 2 「補完手段の学習を促すための工夫、留意点」 ポイント 具体的な進め方 学習を効率よく促進する原理や手続きの利用(坂爪(2002)21)) 参照訓練から記入訓練に段階的に進める(鈴木(1995)3)) アラームにより行動を繰り返す(鈴木(1995)3)、布谷他(1993)4)) アラームの間隔を段階的に延ばす(布谷他(1993)4)) メモリーノートの枠組みをわかりやすく構造化する(布谷他(1993)4)) 誤りのない学習法(注1)、手続き記憶(注2)(原(2002)20) ) 操作手順書を作成して見ながら行う、妻が確認する(並木他(2002)8)) 動機付けを高めることができる訓練課題の選定(原(2018)22)) 活用場面の限定、音ではなく振動で知らせる等、症例の意向や生活歴、羞恥心、嗜好、快・不快に配慮する(松本他(1999)6)) (注1)誤りのない学習法:エラーレス学習とも言い、誤りをおかさせない学習法のこと。反対語にエラーフル学習 (誤りをおかすことを許す、つまり試行錯誤をしながら学習する方法)がある。23) (注2)手続き記憶:非陳述(非宣言的)記憶の代表的なもので、いわゆる体で覚える記憶。例として、自転車の乗り方、 ピアノの弾き方等が挙げられる。24)器質的な健忘症患者でも、非宣言的記憶のシステムは保たれており、 身体で覚えることは新たに習得することは可能である。25)    また、問題点の2点目は「補助手段を使用すること自体を患者が忘れてしまう場合がある」ことです。 論文では、以下のような工夫や留意点が指摘されています。   ・アラームという「行動のきっかけ」を与える(鈴木(1995)3)、布谷他(1993)4)) ・メモリーノートの1ページ等、目に入りやすいところに、手帳の使用目的や指示、または記入見本を配置する(鈴木(1995)3)、布谷他(1993)4)) ・メモやタイマー、筆記用具の置き場所を決めて、いつも同じ場所に置くよう指導する(布谷他(1993)4)) 2 ヒアリング調査  文献調査をさらに補強するため、滋慶医療科学大学院大学の岡 耕平准教授にヒアリングを行いました。 岡准教授は、障害や病気のある子どもたち、若者たちの社会参加拡大プログラムである「DO-IT Japan」や、 学習に困難を感じている子供たちにテクノロジーを使った学習方法を教える「ハイブリッド・キッズ・アカデミー」の 活動に長年参画し、障害者の生活・学習・就労を支援するテクノロジーの活用に関する支援と研究に従事されています。 (1) 障害者のデジタルデバイスの活用について  平成19年頃、岡准教授が行った障害者の携帯電話の使い方についての研究の中で、視覚障害者や車いす利用者は、 見えにくいところを携帯電話のカメラで撮影して他者に見てもらう、手元で見る等、カメラ機能を生活の中で活用している ことがわかりました。また、聴覚障害者にとっては、携帯電話のメール機能は、健聴者と同じ媒体で対等な コミュニケーションを取ることができるという点で画期的だったといいます。  発達障害者の就労支援における活用については、岡准教授が委員として関わった「テクノロジー(支援技術)を活用した 発達障害者の就労促進・就労継続に向けた支援等に関する委員会」において、支援機器の活用例や携帯電話の有効な 使用方法を検討し、「テクノロジーを活用した発達障害のある人の就労マニュアル」を作成しました。  障害者が活用することを想定して開発されたアプリケーションもたくさんありますが、岡准教授によれば、 カメラ機能やメモ機能等、最初からインストールされているアプリケーションも、工夫次第で十分にATとして 活用することができます。予定の時間になったらアラームで知らせてくれる等、デバイス側から働きかけてくれる 「プッシュ型の支援」ができることが、デジタルデバイスを活用する利点だといいます。 (2) 高次脳機能障害者への支援について  岡准教授によると、高次脳機能障害は後天性で、過去の「できていた自分」のイメージがあるため、 山登りに例えると、昔よく登っていたコースで登ろうとして挫折してしまうことがある、そのため、別のコースから 登るやり方を伝えるような支援が必要だといいます。  また、高次脳機能障害者においても、発達障害者と同様に、「休憩」や「帰宅後」を含めた一日の流れに沿って、 困りごとや活用するATを検討しておく必要があるのではないか、と指摘しています。   (3) 就労支援とATの活用について  岡准教授は、職務の設定について、事業所側は「障害のある従業員ができる仕事を任せたい」と考え、 支援者の中には「できる仕事だけ集めればいい」と考えている人もいて、方向性は一致しているにもかかわらず、 「できる仕事」がなかなか見つからないのが課題である、と指摘しています。改善策として、ATを活用した場合の 能力をもとに職務を設定することや、ひとつのタスクを複数の人で分担する(例えば、見落としが多い人はチェックが 得意な人とペアを組み、分担して作業する)ことを提案しています。  また、精神障害者や発達障害者、高次脳機能障害者の雇用が進みにくい理由は、事業所側が何を (あるいはどこまで)配慮していいか分からないと感じるからではないか、と分析し、どうやったらできるかを ATの活用を含めて自覚し、それを人に説明できるようになることが大切だ、と指摘しています。  さらに、ATの活用で重要なのは、アコモデーション(ゴールを変えずに手段を変えること)とモディフィケーション (ゴールそのものを変えて難易度を下げてしまうこと)を分けて考えることである、と指摘がありました。 モディフィケーション(難易度を下げる)すると周囲が不公平感を抱き、かえって本人の不利益になる場合があるためで、 本人の負荷を考慮しつつも、周囲の納得が得られるよう慎重に進める必要があると話していました。 (4) 就労支援におけるAT活用の普及  学校現場では、ATが効果的であっても「他の人と違うのは嫌だ」という理由でテクノロジーの活用が 進まないことがあるが、就労支援においては、スマートフォンやタブレットを多くの社会人が日常的に 使用していることからなじみやすいのではないか、と岡准教授は述べています。  また、就労支援でATの活用が広がっていくためには、教育分野で将来の就労場面を想定してATを使うことや、 就労後もATを活用できるだけの十分なスキルを身につけることが大事で、実際にATの活用を紹介する際には、 以下のような点に留意すると活用が促進されるのではないか、と述べています。 ・「こういうときにこの機能が役立つ」という一覧表を作成する ・何故それが役立つのか、といった情報を付加する ・機能と活用のアイディアをセットで伝える ・自分にメリットがあることを理解させる ・生活支援の場で認知機能の補助として使ったツールを就労支援にも生かす 3 その他の情報収集  中央障害者雇用情報センターの就労支援機器コーディネーターとの意見交換、他機関が開催する支援機器の展示会や講習会、 デバイスのメーカーが開催する障害者向けの講習会等に参加して情報を収集しました。  毎年、就労や生活における様々な困難を克服するための新たな支援機器が開発され、発表されていますが、 高次脳機能障害を対象としたものは、失語症を対象としたコミュニケーション支援機器が中心で、種類も限られていました。 機構が実施する「就労支援機器等普及啓発事業」においても、高次脳機能障害を対象とした機器はホームページに掲載がなく、 支援機器の貸出実績もわずかとのことです。  これは、高次脳機能障害が記憶障害、注意障害等の複数の障害が重なった障害で、個別性が高いことも影響していると 考えられます。このため、高次脳機能障害を対象とした単一の機器を新たに開発するよりは、それぞれの人の障害に合わせて、 複数の機器を組み合わせて利用することや、複数の用途に使える汎用的な機器を利用することが現実的であると考えられます。  「○○のための機器」という固定概念に縛られず、汎用品や汎用品に付加されたアクセシビリティ機能を柔軟に 工夫して使うことが求められると言えます。 4 プログラム受講者のAT活用状況  ATに関する知識付与と活用のきっかけづくりのため、ATの活用をテーマとしたグループワークを2回、 5名を対象に実施しました。  受講者の内訳は、男性3名、女性2名で、年齢層は30歳代が3名、20歳代と50歳代が各1名でした(平均年齢38.2歳)。 5名とも高次脳機能障害がありますが、その症状は多様で、受障からプログラム受講までの期間は7か月~3年とばらつきがありました。(表3)  今回の受講者は、全員がスマートフォンを保有し、日常的に使用していました。また、タブレットやノート型パソコンを あわせて保有している者もおり、モバイル端末の取扱いには比較的慣れていました。 表 3 「受講者の属性」 年代 Aさん・20歳代 Bさん・30歳代  Cさん・50歳代  Dさん・30歳代  Eさん・30歳代 プログラム受講前の補完手段  市販の手帳、 スマートフォン(スケジュール管理)  市販の手帳、スマートフォン・タブレット  スマートフォン(アラーム) 市販の手帳、 スマートフォン(スケジュール管理)  パソコン、 スマートフォン(スケジュール管理) 受障前の従事業務  事務職  サービス業  建築業  損害保険業  品質管理部門 診断名  脳挫傷  脳挫傷  急性硬膜下血腫  脳梗塞  脳梗塞 高次脳機能障害  記憶障害  注意障害  失語症  注意障害  記憶障害  遂行機能障害  遂行機能障害  注意障害  記憶障害  注意障害 遂行機能障害  左半側空間無視  失語症  注意障害 身体障害  なし  あり(右上下肢機能障害) なし  あり(左上下肢機能障害)  なし 受障からプログラム受講開始までの期間  1年3か月  1年6か月  3年  2年4か月  7か月 (1) 知っている機能  「アシスティブテクノロジー活用に関するアンケート①」(図4)を用いて、Windowsとタブレット・スマートフォンの 知っている機能について受講者の回答を求めた結果は、表4、図5のとおりです。  Windowsの機能とタブレット・スマートフォンの機能を比較すると、タブレット・スマートフォンの機能の方が知っている 機能が多く、「カレンダー(スケジュール)」、「アラーム」、「カメラ(写真)」、「Map」、「連絡先」の5機能は全員が 「知っている」と回答し、これらの機能は日常的に活用されているものと思われました。  また、「単語登録」や「音声入力(音声認識)」、「キーボードやマウスのテクニック」といった入力に関する機能は 比較的知られていましたが、最近実装された「タイムライン」や「集中モード(Focus Assist)」は1人しか知りませんでした。 これは、他のアプリケーション(WordやExcel等)の使用を助けるために必要に応じて用いるもので、単体で使用するものではないため、 あまり知られていないものと思われました。アンケートでは、全ての機能を「知っている」と回答した受講者もおり、 受講者によって知識にはばらつきがみられました。 図 4 「アシスティブテクノロジー活用に関するアンケート①」     表 4 「知っている機能数(人別)」 Aさん Bさん Cさん Dさん Eさん 知っている機能の数      14 11 13 21 15 うちWindows  5 2 6 11 6 うちタブレット・スマートフォン 9 9 7 10 9     図 5 「知っている機能」 (2) 使っている機能  同様に、「アシスティブテクノロジー活用に関するアンケート②」(図6)を用いて、機能の使用頻度を 1(少ない)~10(多い)の10択で尋ねました。回答を集計した結果は、表5のとおりです。  Windowsの機能に比べると、タブレット・スマートフォンの機能の使用頻度が高くなっています。 半数以上の人が5点以上をつけた機能を「使用頻度が高い」と評価した場合、Windowsの機能のうち「 使用頻度が高い」機能は「キーボードやマウスのテクニック」のみ、タブレット・スマートフォンの機能は5つ (「カレンダー(スケジュール)」、「アラーム」、「カメラ(写真)」、「Map」、「連絡先」)ありました。 図 6 「アシスティブテクノロジー活用に関するアンケート②」 表 5 「機能の使用頻度」 機能の名称  Aさん  Bさん  Cさん  Dさん  Eさん Windowsの機能 読み上げ  2  1  1  2  1 音声入力(音声認識) 2  1  1  2  1 タイムライン  1  1  1  2  1 タッチキーボード  1  1  1  2  5 集中モード(Focus Assist)  1  1  1  8  1 拡大鏡  1  1  2  2  1 ハイコントラストの調整とカラーフィルター  1  1  1  8  1 キーボードやマウスのテクニック  10  6  9  2  1 単語登録  1  1  4  5  3 キーボードショートカット  1  1  1  10  10 スタートメニューのカスタマイズ  1  1  6  2  5 タブレット・スマートフォンの機能 メモ  6  8  1  1  1 カレンダー(スケジュール)  3  10  5  10  5 リマインダー(タスク管理)1  1  2  3  1 アラーム  10  10  5  9  3 カメラ(写真)  9  10  3  10  10 カメラ(動画)  4  10  1  10  3 Map  5  10  5  10  10 音声入力  5  1  1  1  2 ボイスメモ  1  1  1  2  1 連絡先  1  6  9  9  10 ※半数以上が使用頻度5点以上と回答した機能を塗りつぶした。  2つのアンケート結果から、半数以上が「知っている」と答えた機能を「知っている」、 半数以上が使用頻度5点以上と回答した機能を「使っている」とみなして、4領域に分類しました(表6)。  最も多かったのは、「知っているが使っていない」領域でした。これらの機能は、 基本的な操作方法は分かっているので、より便利に使うためのテクニックを具体的に伝えること で使用頻度が上がる可能性があると考えられます。  「知らないし使っていない」領域は6つあり、いずれもWindowsの機能でした。このうち、 「タイムライン」と「集中モード(Focus Assist)」は最近実装された機能で、まだ機能の存在自体を 知られていないものと思われます。なお、「キーボードショートカット」は受講者によって評価が大きく分かれ、 「知っている」と回答した2人は使用頻度10点、「知らない」と回答した3人はい ずれも使用頻度1点と評価しました。「キーボードショートカット」は、知っている人の使用頻度は高く、 作業負荷の軽減につながるものと思われます。今回の受講者にはあまり知られていなかったためこの領域に入りましたが、 パソコンを使った業務に就く可能性がある対象者には、広く紹介するとよいと思われます。  メモリーノートの基本リフィル(スケジュール、to-doリスト、重要メモ)に相当するタブレットの機能(カレンダー(スケジュール)、 メモ、リマインダー(タスク管理))は、カレンダー(スケジュール)は「知っており使っている」領域に、 メモとリマインダー(タスク管理)は「知っているが使っていない」領域に入りました。 表 6 「知っている機能と使っている機能の関連」 知っている×使っている(6) 知っている×使っていない(9) W:キーボードやマウスのテクニック W:音声入力(音声認識) タ:カレンダー(スケジュール) W:拡大鏡 タ:アラーム W:単語登録 タ:カメラ(写真) W:スタートメニューのカスタマイズ タ:Map タ:メモ タ:連絡先 タ:リマインダー(タスク管理) タ:カメラ(動画) タ:音声入力 タ:ボイスメモ 知らない×使っている(0) 知らない×使っていない(6) W:読み上げ W:タイムライン W:タッチキーボード W:集中モード(Focus Assist) W:ハイコントラストの調整とカラーフィルター W:キーボードショートカット  (注)W=Windowsの機能、タ=タブレット・スマートフォンの機能 (3) 意見交換  アンケートの回答を確認しながら、受講者からお勧めの機能や具体的な使い方を紹介してもらいました。 受講者からは以下のような意見がありました。 ・スケジュールをカレンダーアプリに登録している。 ・普段からスマートフォンを持ち歩いているので、アラーム代わりに使っている。 ・頭痛持ちなので、気圧の変化を知らせてくれるアプリケーションを使っている。 頭痛の発生を予測してくれるので、警報レベルの時には、薬を飲んで対処している。 ・麻痺があり、電話で話しながらメモを書くのが難しいため、音声メモをメモ代わりにしている。 また、紙ベースの資料をスキャナーで読み込んで、電子化したものにメモを取るようにしている。  今回は5名と調査対象が少なく、高次脳機能障害者の一般的な傾向を示しているとは言えませんが、 高性能で携帯性が高いタブレット・スマートフォンは日常生活の中で活用が進んでおり、受講者によっては、 アプリケーションの導入や既存機能の活用により、それぞれの困りごとに合わせて活用していることがわかりました。  また、知識や活用の程度は、かなり個人差がありました。個人差が生じる要因には、その人の興味や嗜好、 受障前の使用経験、生活上の困り感の有無、周囲からの情報提供等、様々なものが考えられます。 ATの導入に当たっては、知識や活用の程度に個人差があることを前提に、対象者の現在の状況を 正確に把握した上で具体的な介入を検討する必要があると思われました。   【参考文献】 1)日本脳卒中学会脳卒中ガイドライン委員会編集:「脳卒中治療ガイドライン2015」,p.309-310,2015 2)安田清:記憶障害を助ける日記,「訪問看護と介護」12(5),p.396-401,2007 3)鈴木勉:記憶訓練において外的補助手段の使用が有効であった一例,「JOURNAL OF CLINICAL REHABILITATION 別冊  高次脳機能障害のリハビリテーション」,p.197-199,1995 4)布谷芳久他:アラーム付きタイマーを用いたメモリーノート導入訓練-記憶障害に対するリハビリテーションのための一工夫, 「総合リハビリテーション」21(7),p.597-601,1993 5)高橋美保他:軽度記憶障害を有する者に対するメモリーノートブック訓練,「認知リハビリテーション」1(2),p.17,1996 6)松本琢麿他:記憶障害者に対するスケジュールアラーム機能付きポケットベルの利用,「OTジャーナル」33,p.923-925,1999 7)中山剛:高次脳機能障害者の職業訓練や就労の支援機器,「福祉介護機器TECHNOプラス」2(11),p.7-11,2009 8)並木幸司他:記憶障害患者の外的補助具活用-携帯電話スケジュール機能を用いた2例-,「認知リハビリテーション」7(1),p.103-108,2002 9)粂田哲人:高次脳機能障害者を支援する福祉機器・用具,「ノーマライゼーション」28(8),p.21-23,2008 10)加藤貴志他:記憶代償手段としてのオンラインスケジューラーサービスの紹介,「総合リハビリテーション」37(3),p.261-264,2009 11)中山剛:リハビリテーション工学とIT,「総合リハビリテーション」38(1),p.33-38,2010 12)安田清:高次脳機能障害への機器の利用,「総合リハビリテーション」32(10),p.975-979,2004 13)総務省:「平成30年度通信利用動向調査」、2019 14)韓星民:アシスティブ・テクノロジーとしてのスマートフォンの利点と弱点,「ノーマライゼーション」34(5),p.10-13,2014 15)石川直:足りない部分を補うためにアプリの活用,「ノーマライゼーション」34(5),p.25,2014 16)内山量史:意思疎通のためのコミュニケーション支援機器,「ノーマライゼーション」37(3),p.22-25,2017 17)中山剛:高次脳機能障害者のための支援機器,「Monthly book medical rehabilitation」,p.43-48,2018 18)種村留美他:高次脳機能障害に対するAssistive Technologyによる支援,「高次脳機能研究」36(3),p.51-57,2016 19)石原裕之他:タブレット型ITツールを用いた認知リハビリテーション-失読失書の一例における導入効果の検討-, 「認知リハビリテーション」20(1),p.17-25,2015 20)原寛美:機能訓練,「総合リハビリテーション」30(4),p.313-319,2002 21)坂爪一幸:代償手段,「総合リハビリテーション」30(4),P.321-327,2002 22)原寛美:記憶障害のリハビリテーション,「BRAIN and NERVE」70(7),p.829-840,2018 23)廣實真弓:記憶障害の訓練にはどのようなものがありますか?,廣實真弓・平林直次編著, 「Q&Aでひも解く高次脳機能障害」,p.29-31,2013 24)永井知代子:記憶とその障害はどのように分類されますか?,廣實真弓・平林直次編著,「 Q&Aでひも解く高次脳機能障害」,p.22-24,2013 25)緑川晶:記憶障害(健忘症),緑川晶他編,「臨床神経心理学」,p.122-135,2018 第3章 AT活用事例の紹介  本章では、プログラム受講者からの聞き取りやプログラムの支援場面におけるAT活用事例を紹介します。 事例1 ~タッチキーボードを活用した結果、漢字入力ができるようになった事例~ Fさんの概要 診断名:脳梗塞 高次脳機能障害:失語症 1 職場復帰後に想定される職務  元々建築現場の監督をしていたFさんは、発語が難しくなったため、職場復帰後は事務所内で勤務することになりました。 職場復帰後の職務として想定されたのが、言語をなるべく必要としない作業として、「報告書の作成」が候補に挙がりました。 「報告書の作成」は、工事現場から送られてきた写真(jpeg)と作業日報書(Word)から報告書(Excel)を作成する業務です。  この作業において必要となるスキルは次のとおりです。  ・写真の判別  ・コピー&ペースト  ・文章の転記 2 Fさんの困り感  発話が難しくなったことに加え、漢字が読めなくなりました。そのため、漢字の入力が難しく、「報告書の作成」 は上手くいかないような気がします。実際、プログラム開始直後にワークサンプル幕張版(以下「MWS」という。) 簡易版の文書入力を行いましたが、漢字が読めず、入力が困難であった(図7)ため、結果は10問中0点でした。 でも、できることなら今まで一緒に働いてきた同僚とまた働きたいです。文書入力ができるようになるなら補完手段を試したいです。   図 7 「文書入力の入力状況」 3 アセスメントの結果  文書入力の結果から次のことが分かりました。 ・一部苦手とするものはあるものの、概ねひらがなをローマ字入力することができる。 ・ルビを振ることで、漢字を入力することができる。 ・ルビを振った漢字をローマ字入力し、正しく変換することができたことから、漢字の形態を正しく認識することができる。 ・漢字の意味を理解することはできるが、読み上げることは難しい。 4 解決方法 (1)ローマ字表  ブックスタンドにローマ字/かな変換表を立てかけ、作業スペースに設置しました。 分からないひらがながあれば、変換表で確認することにしました。(図8)   図 8「ローマ字表の活用」 (2)タッチキーボード  Windowsの標準機能(Windows8以降)のタッチキーボードを活用し、分からない漢字を手書きで 入力することにしました。(図9) 図 9「タッチキーボードの画面」 5 MWS訓練版文書入力での実践結果  タッチキーボード導入直後に行った文書入力では、レベル1の問題で6問中5点でした。一か所漢字の入力ミスがありましたが、Fさんは効果を実感しました。文書入力の訓練版を繰り返したところ、レベル5まで終了することができました。プログラム終了時には、10問中9点まで得点が伸びました。(図10) 図 10「MWS簡易版(文書入力)の結果」 6 職場復帰に向けて  当初、漢字を入力することができなかったFさんは、タッチキーボードを習得することで、他者にルビを振ってもらうことなく、 単独で漢字を入力することができるようになりました。このことは、Fさんの職場復帰への自信を高めました。 また、会社からは「データ入力」も復職後の職務に加えたいと申し出がありました。 事例2 ~スマートフォンでスケジュール管理した事例~ Gさんの概要 診断名:くも膜下出血 高次脳機能障害:注意障害、記憶障害 その他:左上下肢機能障害  1 職場復帰後に想定される職務  Gさんは、社内コンサルタントとして各拠点を巡回する役割を担っていました。職場復帰後は、 新規事業立ち上げのための進捗管理を担当することになりました。  この業務において必要となるスキルは次のとおりです。  ・スケジュール管理  ・文書入力  ・説明されたことをメモし、まとめる力 2 Gさんの困り感  利き手と反対とはいえ、片麻痺のためメモ帳にメモやスケジュールが書きにくいです。スケジュールを忘れることはあまりありません。 職場復帰後を想定するとプログラムでは、きちんと記録することを取り組んでいきたいです。 3 アセスメントの結果 ・記憶について、大事だと思っていることは覚えていますが、職場復帰してスケジュールが増えたら少し不安があるようです。 ・受障前からスマートフォンを使用しており、操作は問題ないことを確認しました。また、 スマートフォンを常に携帯しており、外出先に忘れてくることはありませんでした。 ・スマートフォンを用いてスケジュールを管理したところ、支援者と日程調整したスケジュールや課題の期日を忘れることはありませんでした。 4 解決方法 スマートフォンのカレンダー、リマインダーアプリの活用  プログラムでは、メモリーノートの活用を検討しましたが、情報が分散することでスケジュール漏れがないように、 受障前から使い慣れているスマートフォンに情報を集約することにしました。     図 11「リマインダーのイメージ」    取り組まなくてはならないことをスマートフォンのリマインダー(図11)に入力し、プログラムスケジュールは カレンダーアプリ(図12)で管理することにしました。片手でも入力しやすいため、入力はフリック入力1を使用しました。 支援者からは音声入力を情報提供しましたが、支援室や職場内で声を発することに抵抗があるので、実施には至りませんでした。 ただ、外出先で声が出せる場面では活用してみたいと述べておられました。  スケジュールが増えてくるとカレンダーアプリにスケジュールを登録するだけでは、忘れてしまう可能性があったため、通知機能を設定しました。 これにより、時間になると予定が通知されるようになったので、スケジュールが増えても忘れないという安心につながりました。     図 12「カレンダーアプリのイメージ」  その他、考えを整理するための方法として、受障前から取り組んでいたマインドマップをアプリで作成することにしました。 重要な会議の資料作成の際、まずはマインドマップで要点を整理し、その後資料作成に取り組みました。 図 13 「マインドマップアプリのイメージ」 5 職場復帰後  職場復帰後は、新規事業の進捗管理担当として復帰しました。グループウェアを用いて同じ部署内の同僚とスケジュールやタスクを共有しています。 会社の外ではスマートフォンのメモやスケジュールアプリを用いて情報管理をしていますが、帰社後は必ずグループウェアに 情報を集約するようにしているそうです。グループウェアのスケジュール機能は時間になるとポップアップ表示されるため、 それを手がかりに行動しているそうです。 事例3 ~スマートフォンの音声入力をメモに活用した事例~ Hさんの概要 診断名:びまん性軸索損傷 高次脳機能障害:記憶障害、注意障害、感情コントロール 1 職場復帰後に想定される職務  Hさんは、会社から職場復帰後も受障前と同じ、倉庫内でのピッキング作業を提案されました。 出勤先の倉庫は、不定期に変更されるため、出勤先をきちんと把握しておく必要がありました。  この作業において必要となるスキルは次のとおりです。 ・スケジュール管理(勤務場所が頻繁に変わるため)  ・メモ  ・体力 2 Hさんの困り感  友達との約束を忘れてしまうといった記憶の障害を感じているので、メモを習慣化したいと考え、メモリーノートの活用を試みました。 元々スケジュール帳や筆記用具を持ち歩く習慣がなかったので、プログラム内ではメモリーノートを活用できても、 帰宅後はメモ取りができないといった状況です。また、先日、メモの内容を間違えて記入してしまい、受診日を間違えてしまうことがありました。 加えて、麻痺とまではいきませんが、指先の巧緻性が低下し、スマートフォンでの文字の入力がしにくくなったような気がします。 3 アセスメントの結果 ・記憶について、神経心理学的検査の結果から全般的に記憶が低下していることを確認しました。短期記憶も低下しており、 メモした内容に齟齬が生じる恐れがあります。 ・職場復帰後は、通勤先が不定期に変わることから、スケジュール管理の重要性、補完手段活用の必要性を自覚しています。 ・受障前からスマートフォンを使用しており、操作方法に問題はありません。また、常にスマートフォンを携帯しており、 外出先に忘れることはありませんでした。 ・職場復帰後、倉庫内にスケジュール帳を持ちこんで業務にあたることは難しいので、メモリーノート以外で、 メモしやすい補完手段を整理する必要があります。   4 解決方法 スマートフォンの音声入力を用いたメモ  Hさんは、スマートフォンを常に携帯していること、会社に確認したところ倉庫内の持ち込みが許可されていること、 音声入力の仕方をモデリングしたところ試行してみたいと希望したことから、音声入力機能を活用することにしました。(図14)  AT活用ガイドブックに沿って音声入力の操作手順を確認しました。メモアプリを開き、音声入力画面を開いて スマートフォンに話しかけるという一連の動作を繰り返し、使用手順を身に付けました。 図 14「音声入力のイメージ」 5 職場復帰に向けて  音声入力でどこでもメモができるため、外出先でもスマートフォンにメモする頻度が増えました。 他者から指示を受けた時には、復唱するときに音声入力を活用することで、内容に齟齬があれば、その場で指摘を受けるようにしました。 事例4 ~地誌障害対策にMapやカメラ機能を用いた事例~ Iさんの概要 診断名:脳内出血 高次脳機能障害:記憶障害、地誌障害、左半側空間無視 その他:左上下肢機能障害 1 職場復帰後に想定される職務  元々営業担当だったIさんでしたが、職場復帰後は本社でデータ入力業務を担当することが想定されました。 今までは、支店と営業先を行き来するだけでしたが、今後は県外にある本社に出勤することになりました。 2 Iさんの困り感  受障後、不慣れな場所では道に迷ってしまうことが度々ありました。職業センターに通所することも不安を感じており、 家族や支援者のサポートを希望しました。職場復帰後も、慣れない本社への通勤に不安を感じています。 3 アセスメントの結果 ・最近引っ越してきたばかりで、土地勘がなく、受障前の記憶に頼れないのが現状です。 ・作業手順やスケジュールを忘れる等、記憶障害の影響は顕著です。通い慣れていない場所へ安全に通勤するために、 補完手段の習得が望まれます。 ・受障前からスマートフォンを使用しており、操作は問題ないことを確認しました。 また、常にスマートフォンを携帯しており、自宅に忘れてくることはありませんでした。 4 解決方法 (1)Mapアプリ  最寄り駅から職業センターまでの道のりに迷ったときは、Mapアプリを活用することにしました。職業センター等、 頻繁に訪問する場所は、よく使う項目としてMapアプリに登録し、検索しやすくしました。 また、よく使う項目を登録しておくことで、目的地を忘れてしまった時に、場所の名前を思い出すためのヒントとしました。(図15) 図 15「Mapのよく使う項目の追加画面」    (2)カメラ(写真)  プログラムの初日に、支援者が駅から職業センターまで同行し、その道のりで目印となる場所をカメラで撮影しました。 5 職場復帰に向けて  職場復帰後、数日は家族が付き添い通勤しましたが、その後はMapアプリや写真を頼りに単独で出勤することができました。 事例5 ~小脳梗塞による運動失調のためショートカットキーを用いてPCを操作し、処理速度を向上させた事例~ Jさんの概要 診断名:小脳梗塞 高次脳機能障害:注意障害 その他:運動失調 1 職場復帰後に想定される職務  Jさんは、設計事務所に勤務しており、受障前と同様、CADによる建築設計と部下の設計チェックを担当することになりました。  この職務において、必要となるスキルは次のとおりです。 ・CADの操作 ・設計書のチェック(注意力) ・処理速度   2 Jさんの困り感  小脳梗塞による運動失調2の影響で、手指動作がゆっくりになったので、マウスを用いた操作に時間を要することが悩みです。 CADは、キーボード操作中心だったので、PCの操作をできる限りキーボードで行えたら良いのではないかと思うのですが、 何か良い方法はないでしょうか。 3 アセスメントの結果 ・運動失調と処理速度の低下は認められるものの、認知機能(記憶、注意等)の顕著な低下は認められませんでした。 ・キーボードのキー配列は覚えていますし、検査や作業課題の行動観察から、新たな機能であっても学習できる力を 保たれていることが確認できました。 4 解決方法 ショートカットキー  ショートカットキー(表7)を活用することで、マウスを極力使用せずに、キーボードのみでPCを操作することを試みました。 Jさんは、既にいくつかのショートカットキーは知っていましたので、新たに役立ちそうなショートカットキーを一覧表にして提示しました。 何度か繰り返しショートカットキーを使用することで、マウスを使用する頻度が減り、キーボードのみで操作できる範囲が広がりました。 表 7「ショートカットキーの一例」 キー操作 目的 Crtl + C コピー Crtl + X 切り取り Crtl + V 貼り付け ※Ctrlキーを押しながら別のキーを押して操作する 5 職場復帰に向けて  職場復帰後は、まずは部下の設計書をチェックする業務から取り組みました。職業センター内で、 キーボード中心の操作へ変更したことを会社にも知ってもらい、Jさんに役立つショートカットキーがあれば情報提供していただくよう依頼しました。 事例6 ~片麻痺のためキーボードのキーを同時に押すことが難しい場合の操作~ Kさんの概要 診断名:脳梗塞 高次脳機能障害:注意障害、易疲労性 その他:左上下肢機能障害 1 職場復帰後に想定される職務  Kさんは、土木設計事務所に勤務しています。職場復帰に際しては、受障前と同様のCADによる土木設計を 上司のフォローを受けながら担当することになりました。  この職務において、必要となるスキルは次のとおりです。 ・CADの操作 ・設計書のチェック(注意力) ・処理速度 2 Kさんの困り感  受障前は、マウスを使用することなく、キーボード操作のみでCADを使っていました。受障により、 左片麻痺になったことで、キーボードのキーを同時に押すことが難しくなったので、ショートカットキーが使いにくくなりました。 3 アセスメントの結果 ・神経心理学的検査の結果や作業課題の実施状況から、注意障害はあるものの、受障前のCADの操作方法等、 記憶が保持できていることを確認しました。 ・動作はゆっくりですが、マウス操作を中心にすることも一案でした。しかし、Kさんからキーボード操作が慣れているので、 なるべくショートカットキーを使いたいと希望がありました。 4 解決方法 固定キー  Windowsの「固定キー」の機能を使うことで、片手でもキーボードのキーを同時に押すことができます。 Shiftキーを固定する方法をモデリングし、使用方法を何度か繰り返し、学習してもらいました。   5 職場復帰に向けて  固定キーを使い始めた当初は、使い方に戸惑う様子が見られましたが、繰り返し活用することで、 自然とキーを固定することに慣れていかれました。プログラムのフォローアップ調整会議で、固定キーの活用について、 会社、支援者と情報共有し、片手であってもキーボード操作が行えることを実演してもらいました。 事例7 ~コントラストを調整し、易疲労性の軽減を試みたケース~ Lさんの概要 診断名:脳内出血 高次脳機能障害:注意障害、記憶障害、易疲労性 1 職場復帰後に想定される職務  Lさんは、プログラマーとして製造関係の会社に勤務しており、職場復帰後も引き続きプログラマーとして勤務する予定です。 2 Lさんの困り感  運動中に疲れを感じることはありませんが、PC作業中は易疲労性(神経疲労)が顕著であり、午前中からあくびが頻繁に出ます。 午後になると集中力が途切れやすく、午前中に比べると作業ミスが発生しやすい傾向があると、支援者から言われました。 疲れを感じた時は、休憩を取ることでリフレッシュを図っていますが、他にも疲労の対処方法があれば試してみたいです。 3 アセスメントの結果 ・身体の疲労を感じることは少ないですが、PCや事務作業等、注意機能が多用される作業となるとあくびが頻発します。 ・休憩時間もスマートフォンを操作していることが多く、休憩時間もきちんと休めていない可能性があります。 4 解決方法 ハイコントラスト  眼精疲労を軽減するために、PCディスプレイのハイコントラストを調整しました。(図16)ハイコントラストの調整は いくつか選択肢があるため、順番に試行し、色味や見やすさを考慮してLさんに選択してもらいました。データ入力等、 単純な入力作業はハイコントラスト画面で行いますが、Excelの罫線表示が上手くできない場合があるため、 必要に応じて、標準コントラストで作業することを試みました。 図 16「ハイコントラストの表示」 5 職場復帰に向けて  光度を軽減することで、疲労防止の一助にはなりましたが、色味が変わったことにより、操作性が低下したため、 ハイコントラストの調整は、必要に応じて活用していくことにしました。       事例8 ~面接練習でタブレットを使用し、ビデオフィードバックを実施した事例~ Mさんの概要 診断名:脳外傷 高次脳機能障害:記憶障害、注意障害、易疲労性 1 Mさんが希望する職務  Mさんは、長年建築業に従事していましたが、勤務中に高所から転落し、脳外傷を負いました。 今後は高所作業を伴わない、倉庫内作業等の職務を希望しています。  この職務を想定した場合、必要となるスキルは次のとおりです。  ・正確性  ・体力 2 Mさんの困り感  家族からの指摘があり、スケジュールが抜けやすいことを自覚し始めました。でも、本当にそんな障害があるのか 十分自覚するまでには至っていません。これから就職活動をするのですが、今まで建築業以外の仕事に就いたことがありませんし、 しばらく就職活動をしていないので、就職面接や履歴書の作成に不安を感じています。 3 アセスメントの結果 ・神経心理学的検査や作業課題の状況から比較的重度の記憶障害、注意障害を確認しました。 ・面接練習を複数回実施したところ、振り返りの内容や次回の目標が漠然としており、具体性に欠ける傾向がありました。 ・その原因として、記憶障害の影響で、練習中の自分の発言や態度を具体的に思い出せないことや、注意障害の影響で、 面接官役とのやり取りに意識が集中して態度面に意識が向きにくいことが考えられました。 4 解決方法 カメラ(ビデオ)  タブレットのカメラ機能(ビデオ)で面接練習の様子を撮影しました。撮影した映像を見ながら、支援者と一緒に 発言内容や受け答えの態度等について振り返りを行いました。 ビデオフィードバックをとおして、面接練習時の様子を思い出すとともに、客観的に自らの様子を捉えることができました。 その効果もあり、現状での自らの課題に気づき、次の面接練習に向けて適切な目標設定をすることができました。 5 就職に向けて  プログラム終了後、Mさんは障害者合同面接会へ参加し、内定を得ることができました。 内定先の会社の中から希望した倉庫内業務に就職先を決め、ジョブコーチ支援を受けながら日々、仕事をしています。 事例9 ~音声読み上げ機能を使って文章の見直しをした事例~ Nさんの概要 診断名:脳出血 高次脳機能障害:注意障害、易疲労性 1 職場復帰後に想定される職務  総務部の事務職として勤務しており、受障後も総務部での勤怠のデータチェックを担当することになりました。  この職務を想定した場合、必要となるスキルは次のとおりです。  ・処理速度  ・照合作業の正確性  ・時間管理(締切等の把握) 2 Nさんの困り感  MWSのOAワークをしているのですが、いくら目視で見直しをしても、ミスがなくなりません。一文字ずつ確認するために、 前後の文字を目隠ししたり、後ろから読み返したり、様々な手法を試みていますが、一向にミスがなくなりません。 集中して見直しをしているためか、最近はとても疲れやすく、昼休みは寝て過ごすことが多いです。 3 アセスメントの結果 ・神経心理学的検査を行ったところ、視覚的な情報処理と比べて聴覚的な情報処理の方が優れていることが分かりました。 ・作業課題の結果から、易疲労性が顕著であり、午後になるとミスが増加する傾向が見られました。 ・会社からは、時間はかかっても構わないので、正確に作業してほしいと要望がありました。 4 解決方法 読み上げ機能  目視による確認に加えて、読み上げ機能を用いて聴覚的に確認することを提案しました。 ガイドブックを示しつつ、使用手順をモデリングしました。神経心理学的検査でも聴覚的な情報処理の方が長けている面があり、 目視だけの時と比べてミスの発生頻度が低下しました。また、目視で何度も確認していた頃と比べて、疲れを感じにくくなりました。 5 職場復帰に向けて  職場復帰にあたり、会社へ見直し時用のヘッドホンの使用許可を求め、合理的配慮として認められました。 見直しをする際は、目視だけでなく、音声でも確認をするようにしたところ、正確性が上がりました。 復職した後も疲れ感はあるようですが、昼寝の時間は短くなりました。 事例10 ~易疲労性対策としてスマートフォンのアラーム機能を活用した事例~ Oさんの概要 診断名:くも膜下出血 高次脳機能障害:記憶障害、注意障害、遂行機能障害、易疲労性 1 Oさんが希望する職務  受障前は、プログラマーとして仕事をしていました。今後は、データ入力等の事務職を希望しています。  この職務を想定した場合、必要となるスキルは次のとおりです。  ・処理速度  ・正確性  ・時間管理(締切等の把握) 2 Oさんの困り感  支援者から指示されたことを忘れやすいことや、同時に複数の物事に注意を払うことが苦手だと認識しています。 休憩はいつも取っていません。プログラム時間中に疲れることはありませんので、特に休憩を取る必要も感じません。 3 アセスメントの結果 ・時間の自己管理が難しく、支援者からの声かけがないと、次の予定や休憩に移れない様子が見られます。 ・また、集中しすぎてしまい、声かけしないと休憩を取らずに作業に取り組み、プログラム後に疲労が強く残る様子が見られます。 ・午前と比べて、午後になると作業ミスや手順の誤りが増加する傾向が見られます。 4 解決方法 アラーム機能  意識的に休憩を取るために、スマートフォンのアラームをセットすることにしました。プログラム中は、 基本的に一日の流れがルーティンとなるため、1時間に1回の休憩時間と一日の振り返りの開始時間にアラームを鳴らしました。 アラームが鳴ると時間に気づくことができますが、何を知らせるアラームなのかが分からなくなってしまう可能性が考えられたので、 音だけでなく、ラベルを表示することにしました。(図17)プログラムが進んでいくと、Oさんは「アラームを使うことで、 時間を意識して行動ができるようになった」と感想を述べました。 図 17「アラーム(ラベル表示)」 5 就職に向けて  就職に向けて職場実習を行いました。会社からは、アラームの使用許可を得て、自ら時間管理を行い、職場実習に取り組みました 第4章 AT活用支援実施に係る工夫、留意事項 図 18「AT活用支援の流れ」 1 アセスメントの段階  高次脳機能障害者は、一般的に病識を持ちにくいことが知られています。残された認知機能をアセスメントしたり、 困り感を確認することは、対象者を理解する上でとても重要です。また、高次脳機能障害者の補完手段を検討する際は、 現状の認知機能に加えて受障前のスケジュール管理の方法等を確認しておくことも忘れてはいけません。 受障前の生活様式は、受障後も残された資源として保たれていることが多く見られます。記憶障害等の影響により、 新たな行動を習得することは困難が伴うため、受障前の生活様式を活用できないか検討する視点が重要です。   (1) 対象者の自己認識  プログラムでは、認知機能のアセスメントに加え、対象者の障害認識やATを含めた補完手段の活用度合いを確認するため、 各種質問紙等のツールを用いて確認しています。そのうち、AT活用に関連するツールを紹介します。 ア  特性チェックシート  プログラムでは、対象者の特性や事業所の行う具体的配慮等を伝えるための情報整理シートであるリファレンスシート3を、 対象者と支援者の協同作業で作成します。リファレンスシートの作成過程の初期に、対象者へ記入を求めるのが特性チェックシートです。 特性チェックシートは、高次脳機能障害の症状の現れ方を112項目に渡り具体的に取り上げています。(図19) 図 19「特性チェックシート」 イ  AT活用度アンケート  アンケート(第2章 P14、16参照)は、AT活用ガイドブックで紹介した機能について、「知っているか」、 「どの程度の頻度で使用しているか」を問う内容です。プログラム受講者のAT活用度を確認するとともに、 グループワークを円滑にすることを目的に活用しました。 (2) 神経心理学的検査の実施  神経心理学的検査を実施し、受講者の認知面の特徴を把握します。また、結果のフィードバックにより、受講者の自己認識を確認します。 なお、職業センターでは対象者の負担を考慮し、医療機関から情報提供が得られない場合に限り、必要に応じて神経心理学的検査を実施しています。 (3) 情報収集・行動観察 ア  支援機関、家族からの情報収集  職業センターの支援開始にあたっては、支援計画を策定するため、地域センターをはじめとした支援機関から対象者の情報を収集します。 情報収集の内容は、受障前の生活様式や性格、受障の経緯をはじめ、これまでの治療経過、現在の健康状態や健康面の留意点・ 配慮点、高次脳機能障害の状況、就職や職場復帰に対する対象者・家族の考え方、支援機関の支援経過・方針等です。  高次脳機能障害の状況を確認し、支援実施上の留意事項を確認しますが、特に、失語症がある場合は、失語症の程度や種類、 コミュニケーションの状況等を確認します。   イ  事業所からの情報収集  職場復帰支援プログラム受講者であれば、復職先の会社が定める復職要件や手続き、復職時に事業所が想定している 職務内容についても、情報収集します。この際、重要なのは、職場復帰後に事業所が想定する職務内容に応じた補完手段を検討することです。 例えば、第3章で紹介した失語症の方を例にあげると、社内の清掃等、PC入力を必要としない職務内容で職場復帰するのであれば、 タッチキーボードの機能は覚える必要がなくなります。プログラムにおける支援期間は限られていますので、 優先順位をきちんと整理し、計画的に支援を実施することを心がけています。  加えて、職場復帰した際に、事業所においてATを活用することができる職場環境なのか確認する必要があります。 事業所によっては、セキュリティの関係で、Windowsの機能制限やスマートフォンやタブレットの持込みが禁止されている所があります。 本稿で紹介した機能の多くは、インターネット接続がなくても使用することができるものですが、事前にATの使用が可能か確認をしておくと良いでしょう。   ウ  プログラム中の行動観察  個別面談や作業、朝夕のミーティングなど、プログラムの様々な場面で受講者の行動を観察し、受講者の障害の特徴を確認します。 (4) ケースフォーミュレーションシート(CFシート)  対象者の課題を多角的に把握し、プログラムスタッフで情報共有するため、Oliver Zangwill Centreの取組を参考に、 ケースフォーミュレーションシート(以下「CFシート」という。)を作成し、支援に活用しています。(図20)現時点で、 CFシートはプログラムスタッフ間で情報共有するために使用していますが、今後は、対象者とともに課題を整理するために 活用することを検討しています。 図 20「ケースフォーミュレーションシート(CFシート)」   2 習得段階  ATを活用した支援を効果的に進めるためには、高次脳機能障害の諸症状に留意して支援を進める必要があります。 本稿の作成に当たり、各種情報収集と専門家ヒアリングの結果を踏まえ、以下の点に留意して支援を実施しました。   (1) ATの活用を提案する段階  ATの活用を提案する段階では、ATありきで考えるのではなく、受講者や会社へのアセスメント結果をふまえ、 様々な選択肢の中から検討を進める必要があります。     ① 補完手段の検討   補完手段は以下の発案者により検討され、3つの選択肢があります。   発案者:受講者本人       支援者       他者(家族、医療機関、事業所)   選択肢:外的補助具(例:メモリーノート、付箋、スマートフォン、PCの機能等)       環境の調整(例:付箋を机やPCに貼る、メモ用紙を机に置く等)       日課や手順の確立(例:作業後に目視で見直す、一日の流れを決める等)  ② 情報を集約すること  補完手段は、多ければ多いほど活用が徹底されなかったり、情報が分散されるリスクが発生します。 高次脳機能障害者の中には、情報が分散されることで、どこに何を記録したのか分からなくなったり、 補完手段そのものに気づかなくなったりすることがあります。もし、複数の補完手段を活用するのであれば、 情報を集約する手段を予め整理する必要があります。    ③ 自己決定を促す  受講者が新たな補完手段を活用するためには、受講者自身が補完手段を選択し、自己決定することが重要です。 そのためには、受講者が日常生活場面等を踏まえて、高次脳機能障害に関する障害認識を深め、 補完手段習得の必要性について理解することが望まれます。また、支援者は、アセスメントをした上で、 補完手段を用いることでどのような効果が見込まれるのかを説明し、受講者の自己決定を促すことが重要です。 なお、補完手段の選択の際は、決して支援者の都合で、ATまたはアナログの補完手段に偏らないようにしなくてはなりません。 (2) ATを身につける段階  高次脳機能障害者が新たな技術を学習することは時間がかかりますが、プログラムでは下記の点に留意し、支援を行っています。     ① 作業課題に取り組む中での実践  作業課題に取り組む中で、ATの活用を繰り返します。支援者は介入しない場合と介入する場合を意図的に設定し、 AT活用の有用性や効果をアセスメントします。  ② 振り返り  個別面談で、受講者と補完手段の効果を共有するとともに、受講者の補完手段に対する有用感や障害の自己認識についてアセスメントします。   必要に応じて補完手段の変更について相談します。 3 身につけた補完手段を職場等へ移行する段階 (1) 関係者との情報共有  プログラムでは、連絡会議(職場復帰支援の場合、開始12週目頃)等において、会社、支援機関、家族等とプログラムの 進捗状況等の情報共有を行います。(図21を参照)これらの機会を活用し、補完手段の活用やその効果について共有します。   (2) 就職・職場復帰後の支援  プログラム受講後は、引き続き地域センターの支援サービスに移行し、多くの方は、地域センターのサービスである就職・ 職場復帰後のジョブコーチ支援等を活用されています。 職業センターは、プログラムで確認できた障害特性や効果的な補完手段について情報共有を図り、スムーズに職場に移行できるよう地域センターをサポートします。 図 21「プログラムの流れ(職場復帰支援の場合)」 4 その他 (1) グループワークの実施と目的  高次脳機能障害者のグループワークは、「ピアモデルとの意見交換により障害認識・障害受容が促進されやすい」、 「ミスに対する補完方法を互いに助言し合う」等の効果がある1)とされています。今回の報告書のテーマである 「アシスティブテクノロジーを活用した高次脳機能障害の就労支援」においても、グループによる講義形式と グループディスカッションの形式でATの知識付与や日常生活・職業生活の具体的な活用について情報共有を図りました。 日常生活・職業生活におけるATの活用度合いは、個人差があります。普段活用しない方であれば、ATへの関心を高め、 ATを活用するきっかけ作りとすることが、グループワークの目的となります。 ア  グループワークの流れ  AT活用に関するグループワークは、1回あたり約2時間で実施しました。実施の流れは図22のとおりです。   図 22「グループワークの流れ」   イ  受講者からの感想  グループワークでは、ガイドブックを配付し、受講者から紹介された機能の詳細を確認したり、職員が内容を解説したりしました。 また、今後新たに活用したい機能を確認するとともに、感想を求めました。実際のグループワークでは、以下のような感想がありました。 ・スマートフォンの機能は知っているが、Windowsの機能はほとんど知らなかった。いろいろ使ってみたい。 ・ガイドブックで活用できそうな機能を試してみたい。 ・知っていても活用しきれていないことが多いので、いろいろ試してみたい。特にパソコンの使い方を見直してみようと思った。 ・復職してから使えそうなものもあったので、使ってみたいと思う。文書を入力した時に読み上げてくれる機能は使えそう。 ウ  グループワークの効果と課題  これまで個別に確認していたATの活用状況を、小集団の場を使って効率的に、また、チェックシートをもとに網羅的に把握できました。 また、個別のアプローチで機能の活用を提案した場合、スタッフからの一方的な提案と捉えられ、活用に対して拒否的な 感情を抱く場合もあると思われますが、グループワークの中で「他の受講者から紹介される」という形を取ることにより、 活用への抵抗感を軽減できるといった利点があります。実際に、複数の受講者から、機能の活用を前向きに捉えた感想が聞かれました。  課題としては、グループワーク終了後の個別支援への導入がスムーズにできるか、といった支援者の力量の問題が挙げられます。 また、意見交換のパートの充実度は、グループワークに参加する受講者のATの活用度や、興味・関心の程度に左右されるものと思われます。 あまりATに馴染みのない受講者が多い場合には、効果的にATを活用している具体的な事例を紹介したり、ATの活用体験を 伴う宿題を提示したりといった工夫が必要になると思われます。 (2) ATの活用を支援できる人材の育成  ATの活用について、高次脳機能障害者の支援担当者に様々な場面で意見を求めたところ、「ATの活用を検討する必要がある」 という意見が多くあがりました。一方で、支援者自身が「ATの使い方がよく分からないので、支援や活用の提案に自信が持てない」 という声も少なくありませんでした。ATを高次脳機能障害者が活用するためには、高次脳機能障害者の認知機能を適切にアセスメントし、 対象者の認知機能の低下を補完することに適したATを提案する知識が求められます。支援場面でATを活用するのであれば、 支援者自身がATについて学び、機器や機能に対して関心を高めることが必要です。 (3) ATがあれば解決できるわけではない  ATを活用すれば、高次脳機能障害者の認知機能の課題を全て解決できるわけではありません。 ATは目的を達成するための手段でしかありません。その手段を有効に活用するための仕組みを会社で検討する必要があります。 加えて、持続可能な仕組みとして事業所内で機能させるためには、対象者や社内担当者個人の取組に任せきりにするのではなく、 社内でAT活用の目的の共有と活用するための役割分担を明確にする必要があります。 (4) ユーザーインターフェースの変更に注意  WindowsやiOS等のOS(オペレーションシステム)は、機能の追加、セキュリティ対策やシステム不具合の改善等を目的とした アップデートを定期的に行います。加えて、コンピューターと人間(ユーザー)との間で情報をやり取りするための 方法、操作、表示といった仕組みを示すユーザーインターフェース(以下「UI」という。)が変わることがあります。 UIが変わるとアップデート前と操作方法等が変更される可能性があるため、OSをアップデートする際には注意が必要です。 ※セキュリティの観点からは、定期的なアップデートが必要です。 【引用文献】 1)独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構障害者職業総合センター職業センター:支援マニュアル№5 「高次脳機能障害者の方への就労支援~職場復帰支援プログラムにおけるグループワーク~」,2010 第5章 まとめ  本稿では、高次脳機能障害者への就労支援におけるATの活用について、事例等を交えて解説しました。 高次脳機能障害者へのAT活用は、これまで様々な取組が検討されてきました。 日本高次脳機能障害学会学術総会においても、AT活用の発表が散見され、徐々にATの活用が進展している様子が見られます。 とはいえ、障害者の就労支援の分野を見ると活用が進展していないのが現状です。 一方で、学校教育においては、特別支援教育を中心に発達障害児・者の学習ツールとしてATの活用が進んでいます。 読み書きが苦手な障害児・者において、ATを活用するか否か手段は異なっていても、読み書きするという目的を達成することは 同じという考え方に基づいて導入が進んでいると聞いています。就労支援においては、依然として対象者の認知機能の活用を 模索する取組が中心であり、問題解決の手段が限られていることを課題に感じ、今回の取組がスタートしました。  高次脳機能障害者は、記憶や注意といった認知機能に障害があります。 受障直後に低下した認知機能は医療的リハビリテーションを受けることで一定程度回復しますが、完全に回復することはありません。 そのため、就労場面では、何らかの課題が発生しやすいことから補完手段の習得が望まれます。 補完手段を検討する際、対象者の負担や習得のしやすさを考慮すると、受障前の自己資源を有効活用することが望まれます。 パソコンやスマートフォン等の普及率は年々高まり、今や老若男女問わず所有(パソコンを保有している世帯は73.0%、 スマートフォンは71.8%1))していると言われています。高次脳機能障害を受障した後に、新たなスキルを学ぶことは困難が伴いますが、 受障前のスキルは受障後も比較的残存しやすい傾向が見られます。そのため、残存する資源を有効活用することが 高次脳機能障害者の就労において重要であると考えます。なお、本稿の作成に当たっては、プログラムを受講中または受講した対象者の 皆様からのインタビュー、専門家ヒアリング、各メーカーのガイドブック、各種展示会やセミナー、学会等への参加により情報収集しました。 今回紹介した活用・支援事例や「アシスティブテクノロジー活用ガイドブック」における機能の殆どは、各デバイスとも標準で使用できるものであり、 特別な機能ではありません。身近な所で、大きな負担を生じることなく、活用できることがATの利点でもあります。  本稿では、パソコンやスマートフォンを補完手段として活用する方法や事例、留意点について解説しました。 今回紹介しつくせないものもありますが、PCであればMacOS、スマートフォン・タブレットであればAndroidにおいてもWindowsやiOSと同様に 補完手段として活用できる機能が搭載されています。 また、この他にもスマートウォッチ等、ウェアラブル端末(腕や頭部等、身体に装着して利用することが想定された端末の総称)や スマートスピーカー(AI(人工知能)を搭載した据置き型のスピーカーの総称)2)等、就労支援において補完手段として 活用の可能性がある製品が次々と販売されています。こうした製品は小売店で入手しやすく、専門的な機器と比較して安価に購入することができます。  ロボティクス(ロボット工学)の発展やAR(拡張現実)、VR(仮想現実)等、最新のテクノロジーが医療分野のみならず、 障害者の就労や支援に役立てられようとしています。こうした技術を活用することで、障害者の社会的な障壁がなくなり、 ハンディキャップとなる環境因子が取り除かれる時代がもう間もなく来るかもしれません。こうした技術が進歩する一方で、 支援者は対象者や事業所から技術的な助言を求められる機会が増えると予想されます。 進歩した技術を就労場面でどのように活用するかは、支援者のATに関する知識と対象者の課題を適切に把握するためのアセスメント力が必要となります。 ATの活用により、高次脳機能障害者の認知機能を補い、職務遂行力の向上に加えて、職域が拡大すること、 就労支援におけるATの活用が当たり前の世の中になることを祈念します。     【引用文献】 1)総務省:「平成30年度通信利用動向調査」,2019 2)Weblio辞書. (オンライン) https://www.weblio.jp/. 障害者職業総合センター職業センター実践報告書No.35 アシスティブテクノロジーを活用した 高次脳機能障害者の就労支援   発行日 令和2年3月   編集・発行 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構 障害者職業総合センター職業センター <所在地>〒261-0014 千葉県千葉市美浜区若葉3-1-3 <電話> 043-297-9043(代表)  http://www.nivr.jeed.or.jp   印刷・製本 前田印刷株式会社 1 タッチスクリーン上で指を素速く動かしたり弾いたりして行う操作 2 個々の筋肉の運動は正常であるが、関係する神経の協調がうまくいかないため、目的とする運動を円滑にできなくなる状態 3 詳しくは、実践報告書No.32「高次脳機能障害者の復職における職務再設計のための支援」を参照してください。 --------------- ------------------------------------------------------------ --------------- ------------------------------------------------------------ 1 44